インドとブータンと幸福と格差と 後編

スポンサードリンク

*その昔、別ブログに書いていた記事をリライトして掲載します。

今回は、2009年1月の記事です。

今回は、長かった前回の続きの論考です。

 

*********************

カースト制度とその捉え方

カースト制度には、一般に基本的な分類・ヴァルナが4つがある。

ブラフミン(バラモン)
神聖な職に就いたり、儀式を行うことができる。ブラフマンと同様の力を持つと言われる。別の名で「司祭」とも翻訳される。

クシャトリア
王や貴族など武力や政治力を持つ。「王族」「武士」とも翻訳される。

ヴァイシャ
商業や製造業などに就くことができる。「平民」とも翻訳される。

シュードラ
一般的に人々の嫌がる職業にのみ就くことが出来る。ブラフミンには影にすら触れることを許されない。ただの「奴隷」とも翻訳されることもある。先住民族であるが、支配されることになった人々。

この上記ヴァルナ(カースト)に属さない人々も実は存在する。

それは「アウト・カースト」もしくは「アチュート」、または「不可触賎民(アンタッチャブル)」な人々と呼ばれている。

意味合いとしては、力がなく・ヒンドゥー教の庇護のもとに生きざるを得ない人々のことを指すらしい。

その数、なんと約1億人もの人々がインド国内に暮らしているとのこと。すごい数である。もはや日本の人口に近い数字だ。

彼ら自身は、自分たちのことを「ダリット・Dalit」と呼んでいる(ダリットとは壊された民・Broken Peopleという意味)。

 

ここで注目すべき部分は、このカースト制度がインドでどれくらい続いているかという部分だ。

おどろくなかれ、現世では行き来の出来ない階級間の隔絶された社会、その職業の親から子への伝承という厳格なこのカースト社会形態をインドのヒンドゥー社会は、少なくとも3500年以上続けてきているということだ。

こんな不当な差別があることはインド政府もよくないと気付いているし、憲法の中でも一部の差別については、改正法案を敷いている。

ただ、インドの国の憲法がそれを禁じたのは、1947年(20世紀になってから)になってからなのだ。

ITとカーストの著者・伊藤氏は、「カースト制度が生まれてからインドの歴史数千年分を一分にしてみると、禁止になったのは最後の一秒にも満たない」と語っていたのが印象的だった。

 

ただ、インド人自身のこのカースト制度に対する意識は、都市部では希薄化しているとのこと。

しかし、大部分のインド人が住む農村では差別意識が残っており、人間の意識や恐怖・優越感の中に根強く残っていて、完全にそれをなくすためには相当の時間を要するだろうといわれている。

その一方で、もうひとつ強調しておかなければならないことがある。

ここからの筆者の意見が自分の結論にも繋がる部分なのだが…

 

私たち日本人からカーストの社会を見ると、「随分と窮屈だ」と感じることが多いと思われるが、生まれ時から職業が決まっていて、結婚相手も親から決めてもらい、貧しいながらもどうにか生活は出来る。

さらには、大きな飢餓がなければ安定した生活を送れる仕組みという中での一生というものは、ある意味、はじめからどっぷり浸かるつもりでいたとすれば、それはそれとして、極めて心地良いものと呼べるのではないのだろうか

という点だ。さらに、筆者はこうも言っている。

 

いまの時代、「改革」が大きなテーマの今の我々日本人は忘れているかもしれないが、人類は、そのほとんどの期間において「安定した社会」を志向してきた。

常なる変化は、社会を不安定にさせるからである。安定した社会への希求は根強くどんな社会にでもあると思う。日本にもあっただろうし、今でもある。

安定したむしろ狭い社会に住むことの方が安心という気持ちは、例えば「改革」を叫ぶ人の心の中にも存在するだろうと思われる

なるほど。人類が今まで進歩してきた社会や歴史を紐解いてみると、そういう側面は大いにあるように感じられる。

この後、筆者が疑問に思った点というものが興味深かったので、最後にそれも取り上げてみる。

 

人々の行動を宗教、地域の紐帯、秩序、階級が厳しく制約する社会において、”活力”というものは生まれるのだろうか。

結論として、それは無理ではないだろうか?と思われる。

それは、活力は現状を打破したその先の果実が見えるから生まれるのが基本であって、宗教、地域の決まりごと、秩序、階級などの「動かし難い現実」があまりに大き過ぎると、現状を打破して果実を求めようという気力も失われてしまうからだ。

 

伊藤氏の意見と同様に、自分が世界の国々を見てきて分かってきたことは、人間を縛る仕組みが小さい社ほどその社会には活力と推進力があるということだ。

歴史を背負わない大国・アメリカがひとつの良い例になるだろう。

インドについていえば、その歴史が長いが故に、活力を組む仕組みはつい最近までとても強かったと判断できる。

 

ヒンドゥー教があり、カースト制度があり、職業も選べず、結婚相手もすべて親が決めていた。

活力が生まれる土壌がなかったとしたら、多様な産業はおのずと生まれてはこない。

明治以降の日本人がみなよく勉強し、みなよく働いたのは、もっと良い職業に就きたい!もっと良い生活をしたい!という欲求が動かした部分が多分にある。

インドと異なる大きな点は、日本人であればほぼ誰にでもチャンスがあったということだ。これはかなり大きなちがいだ。

 

少なくとも日本は、社会の中での横の移動を早い段階から認めていた。貧しい人間が豊かになるとこを是としていた。

だから社会に活力が生まれたし、経済も発展した。

さらに、日本の歴史の中には、戦国時代もあり、明治維新もあった。秩序が乱れたが故にその後しっかりと活力のある時代があった。

 

それと比べて、インドではヒンドゥー教が一貫して人々の行動の指針であり、中国は儒教の観念が非常に強く地域主義が国中にはびこっていた。

その国の歴史・背景から考えていくと、日本と同じ様に考えること自体が無理だという事と、それを防ぐ強力な「足かせ」のようなものがあったということが、だんだんと見えてきた。

巨龍と巨象の二大大国

伊藤氏の意見をまとめてみると、つまりこういうことになるだろう。

インドと中国は広大な土地と人口を持っているにも関わらず、宗教・制度観念と社会規制からして進歩から取り残されてしまった

この両国を知れば知るほど、一人一人のインド人・中国人が狭い社会で生きざるをえず、横断的な動きができなかったように思えてくる。

こんな側面を持っている両国だが、現在世界の市場経済の物量・物資を支えている新興国はどこか?と聞かれたら、やはりインド・中国に他ならないだろう。

 

中国には、世界有数企業の製品を作る現地工場があり、いまやアウトソーシング産業のメッカと呼んでもいいほどだ。

一方インドには、ITという大きな芽が芽生えはじめた。

時に、インドと中国は、「巨象」や「巨龍」という言葉に例えられている。

その実、実際は小さな地域や階級の固まりだったため、ある種、非常にもろかったとも考えられるのではないだろうか。

 

その他、大国がゆえにさまざまな要因があり、精神的に身動きの取れなかったこの巨象・巨龍の両国は、他の先進国に続いて動き出すのが遅れてしまった。

しかし、その先進国の背中を見てきたがために、この両国は現在猛スピードで発展の道を歩んでいる。

主義体制と社会共有、そして日本へ

世界の産業発展の歴史を振り返ってみると、18世紀の終わりにイギリスで産業革命が起こった。

それまでの社会は、モノを作るのに人力と道具ですべてを賄っていたが、産業革以降、人々は水力や蒸気機関を使い、機械を使い始めるようになった。

続いて、生産力・生産性も飛躍して大きくなった。

しかし、それにつれて工場を保有している資本家と、工場で働いている労働者との貧富の差(格差)も次第に大きくなっていった。

 

これはまさにカーストの如く、いままでの王侯貴族と市民との間の不平等が、資本家と労働者との間の不平等という形になってしまった と言われている。

そこから始まったのが、体制における社会の仕組みだ。

モノを作る機械や工場の所有を制限しようと考えたのが「インド」で、機械や工場を社会共有のものにしようと考えだしたのが「中国」なのだ。

両国とも大きな歴史を背負っているが故に、日本とは全くちがったアプローチでこの21世紀の時代の進化を遂げてゆくにちがいない。

 

これまで巨龍・中国には、一年間現地採用の仕事で密着滞在することができたが、インドはまだ直接足を踏み入れていない。

上記のこと踏まえて、ITとカーストの国巨象・インドにどのような現実が広がっているのか、気になって仕方がない。

十分な注意と目を研ぎ澄ませて、これから現地に足を踏み入れて確認してこようと思う。

 

インドを知るのにとても参考・手助けとなった本はこちらです。

 

*********************

 

伊藤さんの本の内容を参照させてもらいましたが、この当時、まだ一度もインドに行ったことがない状態で「こんな考察と所信表明」をしていたことに、自分でもおどろきました。

ただ、ちょっと頭でっかち感が出ていますね 笑。

数年ぶりに自分の文章を読み返してみると、その当時の気持ちと心境がよみがえってくるようで、とても興味深く感じます。

 

あれから計5回・約1,5年ものあいだ現地に滞在し、広く全国を旅して回ったり、インドで各種ヨガを習ったり、vipassana瞑想センターで生徒とボランティア奉仕をしたり と、さまざまな経験をしてきましたが、はっきりいっていまだインドという国を捉えきれていません

しかし、これだけ人生の学びに満ちている国もないと思うので、この先も目を離さず注目し続けて行きます。

 

 

落語ナビゲーターとして活動しています

 
年間約100席の生の落語を観ている(音源は毎日)落語ナビゲーター・ミツルが、初心者目線の落語の魅力をプレゼンでお届けします!

「落語ってむずかしくないの?」「どうやって聴いたらいいの?」 そんな疑問もOK。出張(交通費のみでも可)して”落語の楽しみ方講座”をご披露します!


落語ランキング

カテゴリー別の記事はこちら

スポンサードリンク

 ☝️ 👇 ☝️ 👇 ☝️ 👇 ☝️ 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)