いまから10年近く前、20代半ばの頃に長野県の川上村という農村で住み込みの季節労働をしていたことがあります。
標高の高い場所だったので、高原野菜のレタスや白菜を収穫する仕事でした。
夏場の約3ヶ月もの間、中国人労働者と一緒に働いていました。
農村で起きたある事件

その長野の川上村で、ある日ひき逃げ事件がありました。
数百人しか住んでいない村になんと5台ものパトカーが村の主要道路を走って行ったとのことで、自分が働いていた農家にもその情報が回ってきました。
話によると、出稼ぎにきていた中国人労働者を日本人が車で轢いてしまい、そのまま逃げてしまったとの事。
「何も、逃げなくてもいいのにねぇ、まったく」と、近所の農家のおばぁちゃんも嘆いていました。
しかし、ネットでその事件が出ているか検索してみると、聞いていた話と実際の話とは少しちがっていました。
ひかれたのは中国人ではなく、日本人農家の人だったとのこと。
その時、その場の野次馬情報にはあまり信憑性がないということを知ったひとつの事例でした。
おおざっぱさ VS 冷静さ
もう一つその農家で働いていたときの話を紹介します。
これは自分の体験談ですが、すべての収穫が終わり、畑にある農業用マルチをみんなで剥がしていたとき、そのマルチのシートをトラックで回収していました
その時に、マルチが敷いてあった畑の溝にトラックのタイヤがはまってしまい、車が動かなくなってしまいました。
朝方でマルチの下の土がまだ湿っていたため、タイヤが空回りし続けてしまい、動かなくなってしまったのです。

その時は、農家のお父さんお母さんがいなかったので、運転していた自分は少し焦ってしまい、にっちもさっちもいかなくなっていました。
その状況で、中国人労働者の同僚2人が「おれらの故郷ではこうすればすぐ抜け出れるだらぁ!」と言って外からいろいろな指示を出してきました。
「ハンドルを右にきって、そのあとすぐ左にきってからアクセルを踏めば、きっと出れるだぁ!」やら「あぁもう何してるだぁ!四駆モードにして動かせばいいだら!そうしないとずっと抜け出せないどぉ!」と、アドバイスめいたことを言っているのですが、彼らの指示に従っても一向に車は抜け出ません。
「お前はあぁしなかったからダメなんだらぁ!次はこうすればいいんだぁ!」と、また外からいろいろ言ってくるのですが、段々うるさく感じてきたので、同僚の日本人の教えてくれたやり方に従って、タイヤの前にスコップで溝を作って、抜け出す作戦に切り替えました。
すると、あっさり抜け出せたのでした。
「ああいう時は、焦って周りの野次馬の意見に左右されないで、冷静になってどうしたらいいか考えた方がいいよ」

無事に抜けで出たあとで、日本人の同僚がそう話してくれました。
いわれてみると、確かにそうです。
野次馬はしょせん野次馬でしかなく、外野から好きなことだけを言って、責任の範疇には入ってこようとはしません。
「おれが運転して抜け出してやるから、お前は見ていろ!」と、自分に責任が被さってくるような事はしてきません。
その時、外野の人間とは外からああだこうだ言っている状態が楽しいのであって、自らはその批評される側には加わろうとはしないのだな と感じました。
ひとり旅とポッドキャストの親和性
いまもひっそりと更新していますが、6年前から「世界発信!旅人に訊こう」というポッドキャストのインタビュー番組を音声配信しています。
その数あるポッドキャスト番組の中で、ずっと拝聴していた番組がありました。
それは、知る人ぞ知る「世界一周たびたびニュース」という超人気の旅番組です。
この中の「ひとり旅について」のテーマの中でとても共感できる話があったので、ちょっと紹介します。

ひとり旅(バックパッカー)が楽しいのは、すべてが「自由」だから。
どこに行くにも、何をするにも、すべて自分の好きな選択肢を選ぶことができる。
ただ、どこまでも「自由」である代わりに、そこにある「責任」も、すべて自分自身で取らなければならない。
本当にその通りです。
バックパッカーで海外を回っていると、すべての行動に自分の選択と責任が伴います。
すべて自分の好きなことをできる代わりに、その尻拭いも自分でやっていくしかないのです。
自分の行く先、行動をすべて自分が決める、そのすべての責任を持つ。
すべてが決まっているツアー旅行では、予定調和なことしか得られないが、ひとり旅では「自分自身で旅行をしている(という満足感を得られる)」。というか、「納得」をする。
天気が悪かろうが、行ってがっかりしようが、もし悔いがあるなら、もう一度そこに行けばいい。
ひとり旅には「自分で考える楽しさ」がある。
ツアーで連れて行ってもらった場所は、記憶の中から早く忘れてしまう。
自分で選択して、自分で決断して、自分で決めて訪れた場所・思い出というものは、思い出に深く刻まれる。
もし、一度でもバックパッカーの旅を経験したことのある人は、分かってもらえるでしょう。
そういう場所で出会った旅人ほど、末長く仲良く付き合えるものです。
Face the music=責任を取る

旅をしている時に、このテーマにちなんだ英単語を覚えました。
Face the music という英語の熟語があります。
和訳すると、「結果を受け入れる」「報いを受ける」「責任を取る」「責任を負う」「立ち向かう」「自分の不始末にけじめをつける」という意味です。
何事も外野から好きなことを述べるだけでなく、それが実際自分の責任になるものと考えて・相手の立場に立ってものを考えた上で、人にも自分にも言葉を込めていくべき。
農家の住み込み経験から10年が経ち、いまは自分の畑で作物を育てていますが、その当時のことを思い出しながらそんなことを振り返りました。
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