神戸のホームレスokさんとの出会い 後編

スポンサードリンク

*その昔、別ブログに書いていた記事をリライトして掲載します。

今回は2008年10月の記事です。

前編の記事はこちらから(今回はかなり長文です)

先日、ホームレスに関連する記事を読んだ。

この中の生活創庫(現在は株式会社リハンズに譲渡された模様)の社長・堀之内九一郎氏が語っていた言葉が印象的だった。

絶対に這い上がれるという自信

自分に自信があったんです。いままで自分の力でお金を稼いできましたから。

おそらく、ホームレスから立ち上がれない人は、現状に満足している部分があるのかもしれませんが、これまで自らの力で稼いだことがないんでしょうね。

私は、どんな些細なことでもビジネスに繋がる種を見つけ、『いつでも這い上がれるんだ』と、自信を失わないよう自己暗示をかけてきました

要は、ホームレスを含め失敗する前に、どれだけ努力して自分に自信を持てていたかが大切。そうすれば、たとえホームレスという苦境に陥っても、這い上がれると思うんです。

(現在は記事が削除されてしまったようでURLは掲載不可)

 

ホームレスになってしまったとはいえ、「自分はこっち側の人間ではない」という強い自負から生まれた言葉だと感じた。

這い上がれる者とそうでない者との差。言葉の中に明確な意思表示が込められていた。

 

初めて気がついたんです。ホームレス生活を通じて感じた1円、100円のお金の重み

お互いに助け合わないと生きていけないという人との繋がり。これらを体験し、気づくことができたからこそ、いまの成功があると思いますね。

本当に、ホームレスになってよかったですよ。

(現在は記事が削除されてしまったようでURLは掲載不可)

 

こんな発言が根底にある意識から出てくるのも、相当の底辺をみているからなのだろう。

この人ほどではないが、海外バックパッカーの旅中にマレーシアのクアラルンプールでニセ警官に全財産のうちの数万円抜き取られてしまったことがある。あの時はかなり焦った。

いまも、この自転車の旅での野宿の日々の経験を経ているからこそ、『いま当たり前に在る日本の幸せ』 を過剰なほど感じてしまう。

少し前に、ホームレス中学生を経験したという芸人も、同じ様な境遇だったのではないだろうか。

ホームレス四人組の闇

さて、前回終盤に書いたホームレス4人組について。

そのうちの二人は夫婦でホームレスをしていると書いたが、正確に言うと、もうすぐ家なしは卒業するらしい

国の自立支援システム(第一ステップとして)「緊急一時保護センター」というものがあり、次に(第二ステップとして)「路上生活者自立支援センター」というものを利用して、結果として週に1.2回のコンビニの仕事も得られたとのこと。

このシステムからの紹介で、月2万円のアパートを借りられたのだという。

いまはそこで寝泊りをしていると思われるが、想像するに2万円のアパートなので、おそらく風呂なしトイレ共同のレベルだと考えられる。

おそらく残り2人の男性(2人とも30代前半)も、しょっちゅうそこに入り浸っているのだろう。

 

上記の夫婦はまだいいとして、実は残り2人の方が問題なのだ。

okさん曰く、片割れの金髪の方は相当手くせが悪いらしく、ずばり、万引きの常習犯であるらしい

頭の色が真っ金で、ヤンキーが着るような服を好んで着ているので、店に入れば俄然目立つのだが、その手くせから悪さから万引きをしない日がないくらいとの事。

もう一人の方は、見た目はそこまで派手ではないか、実の父親がヤクザの組長さんらしく、言われてみるとそんな風格を帯びて見える。

こんなズッコケ家なし4人組、okさん自身も「あれではダメだなぁ」と彼らが帰ったあと漏らしていた。

「あいつらは、もうゴミ漁りもしないんじゃないかなぁ(夫婦の方は不明)。万引きばっかりのデタラメ生活してたんじゃなぁ。4人ともおれよりずいぶん若いけど、もう社会に戻る気もないんだろうね

ホームレスになっても、たいていの人は少数の人とコミュニケーションを取りつつ、情報を得て暮らすものだが、彼らのように他の仲間を作らず、自分たちだけのルールで暮らしていたのでは、誰が彼らに気づきを与えることができるだろうか?

 

そういえば、神戸滞在中に猫好きの友人と神戸の街で会食をした。

ここ数日、ホームレスの人たちと同じ生活(野宿)で日々を過ごしていたので、一般の社会人の人と会う前には軽く意識の切り替えをしなくてはダメだろうか?と思っていたが、意外とそのままの状態でいけた。猫好きというか猫体質な人はそういう部分で機転がきくのかもしれない。

友人との約束の時間は夜だったので、その時間までまたokさんと図書館に行ったり、神戸港で釣り(正確には釣りはokさんだけ。自分は堤防で読書をしていた)の時を過ごしていた。

この時、メリケンパークから広がる神戸港の風景と合わせて、okさん自身を数枚撮らせて頂いた。

元土木・鳶職人のokさん

防波堤にて釣りをしているokさん。

堤防で煙草を吸うokさん。

足場の悪い堤防の中を縫うように歩いて魚を釣るokさん。

 

そういえば年齢を記していなかった。okさんはまだ40代半ば。

土木・鳶職を長く経験していただけあり、意外にも動作の機敏さが衰えていない。

話をしている時も、職人的な(かと言ってけっして頭が固いわけではない)理解の早い返答が返ってきた。

こんな時に、自分はいつも「もったいないなぁ…」という思いにかられる。

正直、きれいに身をまとえば明日にでもホームレス卒業できるくらいの体はある。

シャバに戻れば、まだまだ受け入れてくれる仕事はあるはずなのに(本人の努力によるが、40半ばで10年間働いてなかった人の実際の職探しはそう簡単にはいかないのが現状かもしれない)、『自由の振り幅が少ない生活』には戻りたくないという意識が根底にあるようなので、そんな期待は淡いものとして消えてしまう。

okさんに限ってみてみれば、シャバ時代から抱えるホームレスの人特有の病気・アルコール依存症などの心身の問題は抱えていない。

そして、まだ精神病が完治していないかもしれないと言っていた。

やはり子供の頃に根付いた傷・トラウマへの怖さからも、いまの大きな自由を失いたくないのであろうか。

この「自由の搾取」ということを人生の最重要項目に組み込んでいるokさんに、果たして自分の望んでいる社会復帰してもらうことが一番の幸せなのであろうか?そんなことをふと考えた。

… … …

ここで自分の考えを疑い、懐疑的(skeptic)になって、もう一度よく考えてみた。

幸福と利己主義とは

自分はokさんにどうなって欲しいのか?

原点的なこの疑問に立ち返ると、自分のおこがましさが見え隠れしてくる

自分が天下に憚(はばか)る有用の士となれば、大きな意味でホームレス問題以上の解決に近づけるかもしれない。

たまたま仲良くなって知り合いになれた一人の路上生活者の人を助けるために、自分に出来る事をしてあげる、一見慈愛に思えるこの行為は、自分自身の利己主義(egoism)に大いに含まれる事ではないだろうか。

ひいては、自分自身の喜びにも繋がる気がしている。

心理学における話だと、利己主義とは「心理的利己主義」と「倫理的利己主義」の二種類に分類されるようだ。

 

心理的利己主義
心理的利己主義(psychological egoism)は、「人間の行為は自分自身の利害(self-interest)に現に常に動機付けられている」とする見解。

人間の本性(心理)は快楽主義(幸福主義)であろうとの想定。

(心理的)利他主義と対比される。経済学の理論などで想定される(架空の)「自己の利益(self-interset)のみに常に関心を持つ “合理的” 経済人」は、この心理的利己主義者に当たる。倫理的利己主義とは異なった説明である。

利己主義 Wikipediaより引用

倫理的利己主義
倫理的利己主義(ethical egoism)は、「人の行為は自分自身の利害に動機付けられるべき(ought)である」とする倫理学上の立場である。利他主義や心理的利己主義と対立的に説明される。

“行為の善悪や正否のよりどころは「自分自身の最大幸福」であり(原則上は)他人に被害があってもかまわない” と考えるので、功利主義(=集団の利益を考慮)と対立する。

ただし実際には、社会に利益をもたらせば、めぐりめぐって自分の利益として戻ってくることが多く、また自身の利己的な行動が周囲の行動へと伝染し、他者の利己的な行動を誘発し、めぐりめぐって自己の不利益ともなるので、利己主義(者)であっても、左記を理解し長期的な合理性を考慮し行動をする者に限定すれば、結果は(ある程度)利他的になるとも考えられている

利己主義 Wikipediaより引用

 

この問題には、幸福主義の中の快楽主義にも大いに含まれる部分が出てくる。

心理的・倫理的快楽主義
心理的快楽主義 … 人間は自分が快いと思うように行為する という人間観。

倫理的快楽主義 …  人間は快楽を産出する行為をなすべきである という規範。

そのなすべき行為のために考慮する快楽が自分自身のものだけであるか(利己主義)、当該行為に関わる人々すべてのものであるか(功利主義)で区別される。

快楽主義 – Wikipediaより引用

 

三つとも少し難しい内容だが、これを理解しておくと善意と偽善の区別がつけやすくなる。

 

結論から言うと、この時の自分はokさんに対して、ある行動を起こした。

一体どんな行動を起こしたかというと、神戸をあとにする最終日に50円葉書を6枚ほど買って、一枚に自分の住所を記入し、「何か変化があったらここに手紙をもらえますか?」と言って、その葉書を渡した。

利己主義を突き詰めて考えていくと、暫定的にこの時の自分に出来る行為は、これが精一杯だった気がしている。

路上生活者の支援システムと現金1000円支援の会

上記で書いた「国の自立支援システム」について、別の問題を思い出したのでそれについて記載してみる。

前編に「市の福祉課の人に行けば、けっこう助けてくれるしね」というokさんの話があったが、この福祉課のちょっと過剰な援助体制を聞いてとても驚いた。

その中身は、週の決まった曜日に市の福祉課の人たちに頼むと、無料の医療支援や散髪・要らない毛布の支給・厚手の冬服の調達などの援助が受けられるのだという。

こんな援助システムがあったとは、いままで全く知らなかった。

もちろんこれは全国統一の決まりではなく、神戸市の福祉課(2008年当時の)に限った話(全国の他の地域にはもっと過剰な支援があるかもしれないが)だが、われわれ国民の血税はこのような所に注がれていたとは…。

他にも、炊き出しをくれるキリストの会の人たちも前の週に頼んでおけば、パンツやシャツ(新品ではない)やいらない毛布の配布といった支援があるらしい。

 

実は、前回の炊き出しの他にあるホームレスのイベントに参加してみた。

これは、まず皆さん御存じない事だと思う。自分ももちろん知らなかった。

西日本・特に大阪(ホームレス数でいうと、2008年当時では都道府県別では大阪府が最も多く4,911人、市区別では東京23区が最も多く4,213人となっている)では、主にキリスト教系の宗教団体やボランティア組織が多く、それらの団体が炊き出しや援助活動を行うことが多い。

この援助、この神戸地区のキリスト教の援助の内容を聞いて、かなり驚いた。

聞いてみると、キリストの会?のようなものが毎週1回あるとのこと。

毎週火曜日の午後1時に兵庫区湊川公園という公園があり、この会に参加すると(会員といった形はとられてなく、行けばもう会に加わったという事になっている)、30分程度、ひとりのキリストの教団員の聖書の話を聞くだけで、もれなく現金1000円がもらえるのだ。

(ちなみに、この公園の近くに神戸の吉原と称される有名な福原がある。自転車でokさんと通りすがった時、何人かのボーイに声をかけられた。ホームレスの集いの公園とこんなに近いというのは、何かの因果を感じずにはいられない)

…しかし、なんという援助システムなのであろう。

詳しく聞いてみると、炊き出しの時と同様にどんな人でも構わないらしく、定員割れしなければ(一度に約10万円を持ってくるらしい。ひとりひとりに直接配るために、すべて1000円札で持ってくる)必ず1000円がもらえるキリストの会なのだという。

実際にタダで1000円もらってしまった

参加資格を問わないのであれば(普段からキリスト教の信仰はないけれど)どんな会なのかこの目で確かめてみようと思い、毎週参加しているというokさんと一緒に行ってみた。

この日は前の日からの雨がちらほら降り続き、13時の時点ではやんでいたものの「雨が降った日には翌日に延期」という暗黙のルール(?)にのっとって、キリストの会の人は現れなかった。

なので、ちゃっかり翌日も行ってみると、定刻10分過ぎにキリストの1000円の人はやってきた。

 

その様子は、麦わら帽子を被っている普通のおじさんだった。

ただ背中に何かイエス様の言葉が布で縫い付けてあった。それ以外は全く普通の人だった。

okさんに聞いていた通り、聖書を開いてイエス様の話を長々と語った後、彼のまわりを四角く囲んでいた人たちにお金を配り始めた。

このときは雨の翌日だったせいか、集まった人が少なかったらしく、ずる賢いホームレス数名が、「またあっちの方にいけばもう1000円もらえるかもしれへんでぇ!」と、すでにもらったはずなのにコソコソ反対側に回っていた人もいた。

 

何の苦労もせず手に入れてしまったこの1000円。

okさんは、もう買う釣りの道具を決めていたそうで、すぐに使ってしまったようだ。

てっきりなにかご飯を買うのかなと思っていたのだが、okさん曰く「飯なんて買うものじゃないよ」という鉄則があるらしく、食べ物は一切買っていなかった。

 

野宿旅行を続けていると、路上生活者ほどではないが、たまにちゃんとしたご飯を食べると、逆にお腹が消化不良を起こしてしまうことがある。

いままで毎日3食食べてきた人が、突然2食の生活に変えてしまうと、代謝の関係で少し太ってきてしまう様に、毎日のサイクルから作られる身体の代謝組織は、突然の反する行為に対して拒絶反応に近いものを引き起こすらしい。

これはつまり、ホームレスの人たちが生きながら実証している事だと思う。

「貧乏禿げなし」という言葉があるように、ストレス過剰が人間の体の免疫を衰えさせてしまう大きな要因になっている。

例えば、いままで皆さんが見てきたホームレスの人たちの髪の毛を思い出して欲しい。

まったく毛が無くて、禿げあがっている人など、まったくといっていいほどいなかったではないだろうか?

これはジョージ秋山先生の漫画・くどき屋ジョーに出てくる台詞を思い出した。

ホームレスの人たちの髪の毛なんて、逆に「何年切ってないんだ」というくらい長髪で、肌の色は毎日残業・毎食コンビニ弁当の満員の終電電車のサラリーマンのそれよりはるかに健康そうに見える。

 

okさんが、いまの自由を手放したくない原因のひとつは、ここにも見れた気がした。

ただ、こういった人たちが世の中の経済を回している人間の割合に対して、大きくなりすぎてしまっているのが日本のホームレス問題の黒点であるように思える。

日本の景気状況によってホームレス人口の常に増減はしている。

バブル崩壊後の不況でその数は増したといわれているが、2007年時の厚生労働省の調査によると、2003年時の数よりは景気が回復傾向にあるため、減少したといわれている。

 

…が、いま新たな問題として直視されてるのが、ネットカフェ難民と呼ばれる人たちだ。

これも厚生労働省が実態調査を行ったところ、2007年時点で全国で推定約5,400人のネットカフェ難民がいることが分かった。

アジアの貧民国を含めて、いまは世界中にインターネットカフェがあるが、この日本の人口比率から考えてみても、ネットカフェ難民だけで推定5,400人という数字は異常だと思う。

 

石原都知事がこのような発言をしていた。

団塊の世代の方がたの貢献然り、日本社会の恩恵を被り続けているにも関わらず、働く努力を自由の搾取と置き換える都合のいい弱さは許せない。

 

これが、自分がホームレスの人たちについて考えたひとつの結論とも重なる。

ただ、自分とokさんとの関係は、年齢や収入に関係なく既にひとりの友人だと思っているので、これからもずっと変わらぬ付き合いをしていくつもりだ。

しかし、友人であるからこそ、最後に自分の考えを伝えてみた

最後に伝えた自分の本音

神戸を離れる前日に、小説「竜馬がゆく」にも登場するある公園にokさんと行ってみた。

勝海舟が日本の新しい外国交渉の港として見出した土地・ここ神戸で、坂本竜馬がここから神戸港を一望し、維新志士としての胆を練った場所として知られる諏訪山公園。

この日は朝から雨だった。

もう明日には神戸を去ると決めていたので、2人揃って自転車に乗ってメリケンパークを後にして、この諏訪山公園へと向かった。

着いてみると上に広がる縦長の公園で、頂上にカフェなどもあったが、こんな恋の成就祈願があった。

ここからの景観を戦乱・幕末の日本を変貌させた維新志士も眺めていた景色なのだな と考えると、何ともいえない観を抱いた。

このいただきの下に小さな神社があって、そこの水場の脇に2人で腰を掛けておもむろに自分の中の考えを話した。

この時の自分からの話は、okさんからすると相当厳しいものだったかもしれない。

が、これが神戸滞在の最後の機会だったので、思っていたことを残らず伝えてみた

 

 

筆者:…でもまぁ、まさか神戸でホームレスの人たちの生活の詳細が知れるなんて、思ってもいませんでした。思えばいろんなタイプの人たちがいるものなんですね。

okさん:そうだよ。みんないろんな事情でこの生活に身を落としていっちゃうんだよ。だから誰だって一寸先は闇だってわけだよ。君も一度すべてを無くして、この生活をやってみるのも経験のひとつかもしれないね。そうなってきて初めて見えてくるもんもあるからさ。

筆者:…いやぁ、自分は分からないですね。 だって正直、人の力を借りながら生き続けるわけじゃないですか…?その上に成り立つ自由を貪(むさぼ)ろうとは、ちょっと思えませんね

okさん: ………

筆者:でも、ホームレスの人たちを全否定するわけじゃないですよ。誰だって人生の大きな失敗はしてしまうかもしれないし、黒澤明の映画じゃないけど、追い詰められて心の「どん底」まで陥ってしまうこともあるかもしれません。そんな時に「もう死ぬしかない」 と自らの人生をストップさせてしまうよりは、ホームレスになって生き長らえる事の方が、断然いいと思います

okさん …

筆者:でも、そういう人生の回避も、一時的なものとして使う以外はよくないと思います。だってこの世の中、成人した大人たちがどうにか経済の回転させて、ギリギリで成り立たせているのに、その回転を手伝うどころか何もしないなんて、単純にずるいというか卑怯じゃありませんか?その恩恵の元に暮らしてお世話になっているのに。このお天道さまの下で、その社会の中で、同じ様に暮らさせてもらっているに。どうして怠けばかりいて何にも生み出そうとしないんですか?

okさん: …

筆者:okさんのお父さんとお母さんは、そういう風に生きていっていいよって言ったんですか?どうしようもなく人生に疲れてしまって、一時的に路上生活をするのは仕方ないと思います。でも、そんな生活を10年も続けてるなんて、ある意味大きな怠け者なんじゃないでしょうか?

okさん: …

筆者:必要以上に自分の生活を正当化しないのは、他のホームレスの人と違って、okさんの良いところだと思いますが、体もまだまだ元気なんだし(足に持病を持っている以外)、自由をかじってばっかりいないで、世の中に対して自分に出来ることをやってみてもいいんじゃないですか?

okさん: …

筆者:それでこそ、また旅に出た時に(okさんは若い時に一度行った北海道にもう一度行ってみたいと言っていた)旅の開放感・嬉しさ・充実感ってものが込み上げてくるんじゃないですか?毎日がただの自由でしかなかったら、旅に出た時の方が縛りが出て、ある意味息苦しくなるかもしれませんよ

okさん: …

筆者:もう一度だけ言いますけど、okさんは他の仕方ないホームレスの人たちと違って、まだ戻れる所にいるんですから、何かひとつでも社会に貢献して「旅に出る」という目標を作ってでも、やり直せるんじゃないのかな と自分は感じました。

 

 

前半以降、終始無言になってしまったokさん。

直接の支援という形ではなく、この会話という「胸が締め付けられるような方法」によって心から気持ちを動かされないと、結局人間は何も変わらないのでは…?と思ったので、okさんには自分の考えを隠さずにすべて伝えた。

自分の話をokさんはどう思ってくれたのだろうか

 

 

そういえば、何日目かの何かの話の時に、こんなことを尋ねた事を思い出した。

「この生活中に自殺とか考えたことって、ありますか?」

と。

…okさんの返事は、

おれは痛がり屋だから、そんなことやろうとしたことないよ というものだった。

 

『おれは極端な痛がり屋だからこそ、死という絶対的な恐怖からくる想像上の痛みの恐れがある。どんな自殺方法でも、途方もない痛みが備わっているに違いない。何しろ死んでしまうのだから…』

という思いがあるとのこと。

その意識がどこから植え付けられたものなのか分からないが(おそらくその原因の一端は、子どもの時に執拗に聞かされたお父さんの原爆体験談から生み出されたものだと思われる)、この痛みの絶対的恐怖心があるからこそ、この自由生活を手放せないのだろうと思った。

 

最後に50円葉書を数枚渡した時に『何かあったら状況を書いて送るよ』と言ってくれたが、いままでの生活になかったものが自分の生活に入った事によって、自己の意識・行動をもう一度洗い直してくれたら という想いが残った。

 

四国から関東まで自転車で走る旅で、まさかこんな出会いをするとは夢にも思っていなかった。

しかし、すべてを踏まえた上でも、このokさん対して「次に再会する時は、できれば社会の中で会いたい」 と思ってしまうのは、やはり自分の心理的利己からくるものなのだろうか。

 

*衆議院と参議院のホームレスに関する情報

ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法

ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法の一部を改正する法律案

 

*********************

 

いまから10年前に書いた路上生活者okさんとの交流記。

いま読み返してみると、濃い交流をしていたのだなと思う。同時に少し真面目すぎたところがあったな と思ったり。

あれから神戸を訪れていないので、その後のokさんのことは分からない。

最後に渡した葉書も届かなかった。

次は社会の中の再会したいと思っていたが、それが叶う日がきてもこなくても、あのときのように元気に過ごしてくれていればなによりだ。

 

落語ナビゲーターとして活動しています

 
年間約100席の生の落語を観ている(音源は毎日)落語ナビゲーター・ミツルが、初心者目線の落語の魅力をプレゼンでお届けします!

「落語ってむずかしくないの?」「どうやって聴いたらいいの?」 そんな疑問もOK。出張(交通費のみでも可)して”落語の楽しみ方講座”をご披露します!


落語ランキング

カテゴリー別の記事はこちら

スポンサードリンク

 ☝️ 👇 ☝️ 👇 ☝️ 👇 ☝️ 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)