みなさん、瞑想をご存知でしょうか?
夏の暑い時期には、気分転換と知力の回復を兼ねて、かるい瞑想をしてみてもいいかもしれません。
ざっくりと”瞑想”とは?
『瞑想』と聞いて、みなさんどんなイメージを持つでしょうか?瞑想とは、
心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすこと 《参照 Wikipedia 瞑想》
ということを指します。ボクがこの瞑想に出会ったのは、みなさんお察しの通り、海外にいたときです。
さらにお察しの人もいると思いますが、それはずばり、インドにいたときのことです。
下界とは離れた場所で10日間 瞑想漬け
あまり表立って言ってませんでしたが、今から約7年前、合宿形式で瞑想を学ぶことができる”瞑想センター”と呼ばれるところに通っていました。
この瞑想法は、旅人の間では名が通った種類の瞑想ですが、いわゆる、ゴエンカ式のヴィパサナー瞑想です。
いろいろな瞑想法がある中でも、これは、かなりストイックで厳しい制約がある瞑想といわれています。
簡単に説明すると、10日間もの間、下界と隔たれた場所で、だれとも口をきいてはいけない・目も合わせてはいけない・本を読んでもいけない、ただただ、瞑想の修行をし続けなくてはいけない(!)瞑想法です。
「なんて厳しいルールなんだ!」と思うことでしょう。
しかし、厳しいからこそ得られるものも多い瞑想なのです。
実際、参加したくてもキャンセル待ちが続出する時期もあるくらい、日本でも参加人口が増えている瞑想です。
詳しくは、旅人・大樹くんのブログをご参照下さい
《参考記事》泣いた!10日間目を合わせたり話したりする事が出来ないヴィパッサナー瞑想体験談
瞑想の途中で気がついた自分の欠点
上記のブログでも書いてあるとおり、この10日間ではいつもの日常では考えられない劇的な内面の変化が起きます。
これはあくまで一例ですが、『長年苦しんできた◯◯の痛みがほとんどなくなった』や『夜、亡くなったはずの母親が何度もでてきた』や『だんだん足の痛みがなくなってきて、次第に体全体が一つになっていった』なんて人もいれば、『まちがいなく”神”を見た』という人もいるほど。
その変化がどういうものであるか、そればかりは千差万別・人それそれぞれですが、ボクが初めてこの10日間の瞑想修行に参加して得られたものは… “自分の集中力の無さ”でした。
(2012年 北インド・ダラムサラの瞑想センターのインド人スタッフと故・ゴエンカ先生)
『真剣に瞑想を学ぶ!瞑想するためだけにここにやってきた』そんなことは百も承知ながらも、どうしても瞑想に集中できない自分が顔を出してきて、そいつを引っ込めることができませんでした。
何度あがいてもその気持ちに打ち勝つことができず、初めての瞑想修行の10日間で一番得られたものは、“自分自身の内側に向き合うことのできない弱さ” を知ったことでした。
インドのヨガと瞑想の世界に
はじめての瞑想修行から数年が経ち、あれからポッドキャスト番組のインタビュー取材と平行しながら、世界各地のヴィパッサナーセンターを巡りつつ、世界の旅を続けていました。
思えば、1日の中で必ず瞑想を取り入れていた時期もあります。
ちょうどその頃、別の国からまたインドに戻り、本格的にヨガを練習するようになりました。
振り返ってみると、英語学校に通いながらヨガレッスンに通ったり(デリーのシヴァナンダヨガ)、『アシュラム』と呼ばれるヨガ施設で毎日アーサナ(ポージング)の練習に励んだり(ダラムサラのハタヨガ)、『シャラ』というヨガスクールに通って世界のヨガティーチャーたちと一緒にクラスを取ったり(マイソールのアシュタンガヨガ)するほど、その当時は、かなりヨガ熱が上がっていました。
(北インド・ダラムサラにあるベジレストラン”ルンタ”の絶品日本食。練習の合間によく行っていました)
ヨガと並行して瞑想も続けてくると、ごく自然な流れで、精神世界への興味が強まってきました(思えば、この頃から完全な禁酒&ベジタリアンになりました)。
海外の宿で手に取る本や、インターネットを開いてみても、自然とヨガや瞑想ばかりを調べるようになり、一時期、ディープな精神世界・スピリチュアルなカルチャーにどっぷりと浸かっていた時期もありました。
(今まで知らなかった世界の扉を開いて少し危ない方向にいきそうになった頃)
そんなときに、ちょうど”高城剛”という人の存在を知りました。
瞑想とのあらたな付き合い方
”ハイパーメディアクリエイター”とも呼ばれる彼の肩書き・印象は、人によってかなり異なるでしょう。
個人的には、彼の本から気付きと瞑想との付き合い方を教わりました。
彼いわく『瞑想とは、システムメンテナンスのひとつ』であるとのこと。
この考え方は、極めて新鮮かつ、なんて明快!!と、声をあげたくになりました。
それまでの自分は「瞑想とは、深く取り除きがたい悩みや根本的な苦しみを解決する唯一の方法」と、少し重たく捉え過ぎていました。
が、『結局は、ただのシステムメンテナンス・リフレッシュする方法のひとつ』という高城剛の意見に、かなり衝撃をうけました。
ヨガや瞑想を本格的に取り入れていた頃、どこか心の奥深くに根ざした悩みや苦しみを取り除きたい、できれば適度な運動で身体も健康に保ちたいと、少し期待を込めすぎていた自分を諭すように、この考え方は、そのときの自分に突き刺さりました 。
《参考記事》ハイパーメディアクリエイター高城剛はホントにハイパーな仕事をしていた
人によっては、リフレッシュの方法は異なります。
散歩をすること、花に水をあげること、ふとコーヒーやタバコで一服すること…などなど。
その中にひとつに、『かるい瞑想をして、心のシステムメンテナンスをすること』が並んでいてもいいわけです。
厳格な決まりと制約に基づいた悟りの道の瞑想法があることは、身をもって経験してきました。
が、そんな風に、極めてライトにリフレッシュの方法のひとつとして瞑想を捉えることも大事だなと、彼の意見を知ってからいままでの考えがアップデートされました。
ちなみに、ケンカをしたときの解決法としても簡単な瞑想は大いに役立ちます。
時間が解決してくれる場合もありますが、静かに座して瞑想することによって、激しく燃えさかる気持ちから平静な心を取り戻すツールとしても大いに機能します。
最後のおまけ
もっと具体的に分かりやすい瞑想の例はないかな?と探してみたら、こんな記事があったので最後に載せておきます。
《参考記事》瞑想のやり方やコツとその効果を、できるだけ詳しく言語化してみた【新宮 慶 式】
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