著者プロフィール

中澤ミツルのプロフィール

こんにちは、落語とローカルアジアの運営者の中澤ミツル(@satyu_)です。

1982年生まれの群馬県出身の男ですが、現在の自分の肩書きとしては、

という複数のナリワイを持ちつつ、広島の福山に拠点を置いて半農半Xな暮らしを送っています。


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体育会系部活とサブカルで育つ

関東平野の広がる群馬の前橋市にて、3人兄弟の長男として生まれました。

学生の頃を振り返ってみると、中学では走りっぱなしのバスケ部、高校では超体育会系のラグビー部に入部し、心身ともに鍛えられた学生時代を過ごし、そのかたわらでラジオやオルタナ音楽・いわゆるサブカルに支えられた学生時代を過ごしました。

高校卒業後は地元の専門校に入学し、その後は興味関心があったカメラ店に就職

しかし、まだ若かったゆえにルーティンの繰り返しの刺激の少ない日々に疑問を感じ、「これは新しい場所にいくべきだ」という気持ちにしたがって1年後に思い切って退職、そこから地元の群馬を離れることを決意しました。

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田舎からの上京と愛知万博

その後、東京の町田市にいる友だちをたよって、2001年に思い切って上京

ひとまず町田に住みながら、写真とカメラが好きだったことから友人が新百合ケ丘にある日本映画学校に通っていたツテを借りて、自主制作映画班のカメラマンとしてその制作チームに加わることに。

同時期に、趣味で投稿していた写真が、なんと某写真雑誌で佳作を授賞。
そこから、もっと写真の勉強をするために渋谷の写真芸術専門学校への入学を検討しつつ(結局、入学はしませんでした)、映画制作と趣味の写真撮影と投稿を続けていました。

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振り返ってみると、東京では地元にいたときには出会えなかった様々な人や文化や刺激に出会い、生き方の幅が広がりました

しかし、仲間と充実した日々を送る一方、ハーフの人との出会いからもっと新しい文化をこの目で見たい衝動にかられ、そのタイミングで東京の暮らしと映画制作班を離れることを決めました。

その後、その当時に愛知で開催されていた愛地球博の会場の仕事に就くことに。

そこで、予想もしていなかった万国博覧会の海外の文化の多様性に魅了されました。

愛知万博をきっかけに、一度日本を離れて世界を見に行ってみようと思い立ち、はじめての海外に飛び出しました。

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初めての海外へ

2006年、初めての海外の行き先は、愛知万博時に中国パビリオン館で見た「2010年 上海万博」の文字から、まずは中国の首都・北京に決めました。

その当時、まだスマホやタブレットなど一切出回ってなかった頃合いです。バックパックとパスポートと中国への往復航空券を握りしめ、初海外・中国へと踏み出しました。

…だったはずが、北京〜広州に電車で移動したのちに、ホステルでのふとした出会いから、中国を抜けてマカオからシンガポールに行く流れに。

初めての中国訪問から、いきなり東南アジア・バックパッカーの旅がはじまりました。

 

突然始まったバックパッカーの旅

最終的に、シンガポールからマレーシアまで北上し、そこからマレー半島を縦断してマカオまで戻り、香港まで船で渡り、香港→深セン→広州→成都→西安→北京と、中国とマカオと香港・東南アジア2カ国を回った旅になりました。

この旅で得てきた経験と出会いから、知的好奇心と感受性の豊かな20代のうちに、日本以外の国の文化や人々にもっと触れたいと思い立ち、海外で仕事をする / 暮らすための方法を模索しはじめました(心理カウンセリングにも興味を持って独学で勉強し出したのもちょうどこの頃です)。

その後、縁あって2007年に中国の大連で韓国系IT企業に1年間勤務し、2009年にはインドのデリーにある日系コールセンターで働きながら、デリーにあるカナダ系の英語学校に半年間通うことに。

個人的には、中国よりもインドという国から、人生を揺がすほどの価値観の衝撃を受けました。いま思えば、約1年半もの時間を中国とインドという大国に滞在できたことを幸運に思います。

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その後いったん日本に帰国しますが、ちょうどその年の3月11日に東日本大震災が発生。本震後の幾度もの余震とともに、日本で暮らしていく気持ちも少しづつ揺れていきました。

5月には福島の被災地へボランティア支援に行きましたが、それからは自分の直感に従って、2011年7月、より知識と見聞と自分の幅を広げるため、長期の海外の旅に出発します。

 

海外からのインプットとアウトプット

出国後、自分にできるアウトプットの形を模索した末に、旅の傍らでPodcast(インターネットラジオ放送)番組・世界発信!旅人に訊こうの独自の現地インタビュー取材自主制作の海外配信をスタートし、海外旅行ラジオのグループ最大手の旅々プロジェクトに加入しました。

取材以外の活動としては、ヴィパッサナー瞑想センターの世界各地の支部の瞑想センターでボランティアサーヴをしていました(通算すると計15回ほど)。

思えば、インドで30歳の誕生日を迎えたあのときから、いまも継続しているペスクタリアンになりました。

 

それを並行しつつ、30歳以下なら誰でも取得できるワーキングホリデー制度を使って、オーストラリアの農家でファームジョブやオーガニックの菜園やWWOOF(ウーフ)などの持続可能な暮らしを学びつつ、約2年間の豪州生活を終えました。

世界訪問国と海外での活動履歴

これまで滞在・訪問した国と時間を書き出してみました。

総括して見てみると、やっぱりアジア地域に長く滞在しているようですね。

  • オーストラリア・・・約2年
  • 中国・・・約1.5年
  • インド・・・約1.5年
  • アジア/ユーラシアの国々・・・約1.5年
  • 中南米の国々・・・約9ヶ月
  • アフリカの国々・・・約8ヶ月
  • ヨーロッパの国々・・・約6ヶ月
  • オセアニア・・・約1ヶ月

海外の活動について

よく聞かれる質問に「そんなに長い間、海外で何をしていたんですか?」という質問があります。

とても一言では説明できないので、下記にその活動遍歴を書き出してみました。

  • バックパッカー旅
  • 普通話中国語学校
  • カナダ系英語学校
  • 現地採用IT会社の仕事(中国とインド)
  • ヴィパッサナー瞑想センターのボランティア
  • 世界の聖地巡礼 
  • トレッキング
  • スキューバダイビング
  • 世界発信!旅人に訊こうの取材と配信
  • Kindle書籍写真集の執筆

これもあらためて書き上げてみると、ごった煮で多ジャンルなことをしてきました。

印象的な出来事はきりがないほどありますが、その中でも、世界発信!旅人に訊こうの取材を通じて世界各地で出会った方々へインタビューさせてもらったことが大きな経験と財産になりました。

いままでの世界訪問地域を、グーグルマップ上にマッピングしてみました(このページからマッピングを作成しました)

数えてみると、トータルで世界約90ヵ国の訪問約350ヶ所以上の都市と町を訪れてきたようです。

自分でもちょっとびっくりな数です。

 

初の書籍の出版とライター業

その後、2014年11月に初の著書旅立ち、肉断ち、そして友だちへと、

同年12月に、初の写真集「中南米8メガピクセルの景色」の2冊を、海外にいる間に出版することに。

あわせて、ライターの取材・仕事の案件も受け付けています👇

得意なジャンルは、「インタビュー取材」「海外の国・都市の地区情報」「独自のオピニオン」などです(記事作成や取材などのお仕事のご相談など、こちらまでお待ちしています)

 

帰国後の活動と現在

振り返ってみると、いままでの海外の居住経験は、中国に1.5年・インドに1.5年・オーストラリアに2年ほど。

合計すると世界約90ヶ国の訪問 / 世界一周と約100人の国内外インタビュー取材を経てきました。

旅するローカルアジアからの活動は休止中ですが、初心者向けの落語ナビゲーターの活動は、引き続き行なっています。

 

出張落語の楽しみ方講座をご依頼したい方は、こちらからどうぞ👇

 

 

 

…という、ちょっと風変わりな経歴の男ですが、プロフィールはこんな感じになります。

個人的に、しばらく日本を離れていた経験から、より日本の文化・演芸の素晴らしさを知ることができました。

それをこれからも守って継承・伝承していくために、広島の福山からいろいな発信をしていきます。

 

*ひっそりとアマゾンのほしい物リストを公開しています。

落語ナビゲーターの活動は、基本的にお布施(ドネーション)で行なっています。もし活動に共感して頂けましたら、ご支援・サポートのほど、よろしくお願いいたします。

 

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